1.経営の成否を分ける店の力の源泉とは?

震災対応とその後の顧客動向

大震災後、物不足が起きた東北と首都圏であったが、商材によっては東海、近畿地方にまで物不足が広がりました。

各地のコンビニ、スーパーを見て回りましたが、商品が潤沢にあるお店は少なかった (例外的に3月下旬開店のお店は、品薄だった商品含めて大量に置いてありましたが)。チェーンによって、モノの調達力に大きく差があったことは記憶に新しく 特に、陳列量の回復は、相当な差がありました。

1000年に一度の震災、とも言われている、本当に例外的な環境だったのかもしれませんが、その中で、商品手配に明け暮れたことは、深く我々の記憶に刻まれています。中には、仕入れ先との関係を見直すきっかけになった企業も少なくないことと思われます。

震災後、特に関東以北では顧客が日頃買い物をする店を変更したでしょうか。少なくともあの頃1週間程度は、モノ不足の日々が続いていました。特に、水道水の放射能汚染を懸念して、乳幼児がいる家庭を中心に、ミネラル・ウォーターを求めて少し離れたお店まで足を運んだ人が多かったでしょう。そうした中、ひいきにするお店が変わった顧客も少なくなかったと感じています。

商品がない中、どのような対応を取ったかが、しっかりと顧客に評価されていて、その後の行動にも影響を及ぼしたと言えるでしょう。地元の慣れ親しんだ顧客を大事にしたお店、遠方からまとめ買いをしに来たお客さまにまとめ売りを実施したお店。

震災当日には、皆が助け合っていたものの、その後の物不足、計画停電と混乱が目に見えるようになってからは、我先に、乾電池、ミネラル・ウォータ、紙類、米、即席麺などを求める顧客にどう対応したのか、それによって、顧客の自社における購買がどう変化したのかを見つめ直す必要はあると考えます。

一部の顧客から見て、無理を聞いてくれなかったことを逆恨みすることもあったでしょう。一方、公平な態度をやめなかったことを見て、よりファンになった人もいたでしょう。後で詳しく述べまずが、 誠実な商売をすることが、特に重要になってきたのではないかと思います。特に、ポイントカードなどのデータを持つ企業においては、震災前と後とで、個別の顧客がどう行動を変えたのか、じっくり見て、今後の対策を考えなければなりません。

モノの買い方、バスケットの中身、購買頻度、以前と同じ分析を継続しているだけでは、本当に求められている (または、既に他社に求めてしまった)要素に、気がつくことなく時間だけが過ぎていくのではないでしょうか。

商人よ、 誠実たれ

商売を誠実に行なっているかというと、ほとんどの企業で、恥じることのない商売をやっていると答えられることでしょう。仕越しした肉や魚の加工日付を、品出し当日付とする指導をしている企業はもうだいぶ減ったでしょうし、リパックで日付を延ばす企業(店レベルではあるかもしれませんが)もないことと思います。産地を組織ぐるみで偽装する企業もほとんどない。問題が起きたときのリスクを考えると、ばれなきゃいい、では済まされないということが見えてきました。

業界内の一部コンサルタントに、コンプライアンスの行き過ぎ!とまで批判する人もいるようですが、そういう問題ではないと思います。自分が提供した商品については責任を取る!という表明として、正しく表記をするということが重要でしょう。

なぜかというと顧客は、表記を信じてモノを買うからです。たとえば肉、明らかに色が悪いとかでなければ、素人目では鮮度はそうわかりません。鶏やプロック肉なら、ドリップも出るでしょうが、薄切り肉などでは判別がつきにくい。まして、産地や等級は、パックされた薄切り肉では、玄人でも判別ができません。

消費者は、もちろんその肉を食べたときの効用を買っているのですが、お店に並ぶ様々な種類の中で何を選ぶかというのは食べるまで分かりません。そのため、判断基準としてパックに記載された情報を用いているわけです。情報に(価格対比での)期待を込めて 購入するという判断をしているのです。

食品の購入者が何らかの身体的異常を訴えることがあったとしましょう。その当事者になった側からすれば、納得できないし、失われた時間・コストも返ってこないのです。しかし、その原因追究は簡単ではない。何を食べたかを振り返り、一つひとつつぶして、スーパーで買った◯◯が問題だと立証しなければ、相手にはされません。 (症例が重なれば、保健所も動くでしょうが)

そういう、売り手側の情報が多い環境であるがために、今でもその責任を軽視してしまう企業がないわけではないのですが、業界としてそうした悪慣習を早期に払拭させていきたいものです。

誠実さについては、上に誰が見ても明らかに問題である話題を冷視しました。しかしながら、誠実さはそれだけではありません。たとえば、店頭で、アルバイト、パート含めて、顧客からの質問にどう答えるのか? 忙しかったり、面倒だったりして、時に思いついた嘘を平気で言う人がいたりします。

少し考えればすぐ露見するような嘘をつける人は、一定数、どんな業界にもいます。人間は嘘をつく動物であり、嘘をつかないことはない、ことも事実です。

嘘をつかれた側の人は、時にはついた人の忙しさなどを推し量り、気にせず済ませることもある。一方、それに対して、腹の虫の居所が悪かったためか、稀に激怒して暴れる人もいます。これは後述する期待値との関係にもなるのですが、嘘をつかれたことについて、いい思いをす る人はいません。そればかりか、長期的な信頼関係という意味では、やはり歪みを生じさせます。

これは、個人の問題では済まされません。その場で嘘をついた従業員も、普通の感性を持っていれば、後ろめたさを感じます。 繰り返せば嘘をつくのも平気になる、という人もいるでしょうが、多くは、積み重なる嘘にストレスを感じるものです。

仕事としてサービス・接客にあたっている立場の方に、嘘をつかせて平然としていられる売場環境をつくっている企業側の姿勢があることは忘れてはなりません。そうした売り場では、内部での不正も多くなる。

あるコンサルタントは、流通業でのロスの3分の1は内部不正によるものだ、とまで言っています。従業員を犯罪者にしないための環境づくりとして、誠実な商売を目指すことは決して無駄にならないと思います。そして結果的に、お客さまからも、その誠実さを評価されていくのではないでしょうか。

 

徹底した顧客志向、期待値の管理

顧客観点とは、一体何でしょうか。お客さまの目線でものを見さえすれば良いというわけではありません。むしろ、お客さまの気持ちを分かり、その気持ちになれるということと考えています。
お客さまの気持ちとは、一体何か。

それを端的に表す言葉が「期待・期待値」です。お客さまは、自分が欲する商品を(自分にとって)、適切な価格で買いたいと思っている。できるだけ重い荷物を持ち続けずに店内を買い回りしたいと思っている。できればレジで並んで待ちたくない (重いし、早く帰りたいし、待っている間暇だし、カゴと荷物があるから携帯電話も触れない…)

このような期待を、小さなお店の中に詰め込みながら成長してきたのが、コンビニエンスストアと言えます。歩き回って探し回らなくても、多数のお客さまに最低限の選択の幅と品揃えを提供しながら、様々な支払いやチケット購入、現金の預払、宅配便の預・受取 等々。

スーパーマーケットも、サービスカウンターという場を設置して、コンビニでは提供していない包装などの対応はしてはいますが、そのレパートリーはコンビニほど広くない。

こうした、誰の目にも見える、または想像できる期待の内容は、議論としてはやりやすく、すでに、様々な検討を進めている企業も多いでしょう。
一方、信頼できるお店、常に期待されるお店という視点で見ると、上記のような内容では済まなくなります。「今すぐ欲しいこの商品、あそこなら必ず置いてある」、「あのお店に行ったら、きっと素敵な商品(レシピ) の提案がある」、「夕方に行っても、その日のおすすめ・お買い得を必ず提供してくれる」、「少し遅くなったけれど、あのお店ならば、今からお寿司を握ってくれる」等々。 商品があるという基本的な期待に始まり、信用されていく中で、顧客からの期待は、本来提供している販売というサービス以上のものまで昇華していきます。

長く発展し続けられる企業においては、目に見える顧客の期待にどこまで応えられるかだけではなく、期待された上をいくことで、さらに顧客の期待値が高まってくる、そうしたプラスのサイクルの中 長期的な顧客との信頼関係を醸成していくことができているのではないでしょうか。

顧客ってどういう人でしょうか?

それでは、その信頼関係を築きあげる顧客とは、一体どのような存在なのか。いつも来店していただけているお客さまを想像すれば、イメージはつかめるかもしれません。しかし、そのお客さまの心はっかめているでしょうか。一例として、高齢化を見てみましょう。

一般論として、高齢化していることは、従業員も経営者も誰しも分かっています。しかし、高齢化していっているお客さまに対して、提案している食生活はどういうもので しょうか。食べ方、調理のスタイル、熱源、レシピ、そして惣菜、刺身など、すぐに食べられる食材の提案、食卓のイメージとしてどういう食生活をイメージし、商品づくり、売り場づくりを行なっているでしょうか。

震災後においては、食材の備蓄行動、停電に備えた生鮮品の購入量低下、カセットコンロの調達と、調理器具の確保、節電・節エネルギーの調理、保冷弁当箱の活用と、冷たくて美味しい調理法の採用など、食生活自体も変化がありました。

間接的な影響としては、万一に備えた現金の貯蓄、不要不急なものを買わなくなる、それまでに仕事に出ていなかった人の就職 (パート就職含む)、職住近接のための転職・引越、別居していた家族との同居、など、関東以北では様々な動きがありました。

そうした変化に流されることなく、一定のサービスレベルを継続することもスーパーマーケットの使命である一方、変化せざるを得ないお客さまへの配慮が欠けてもなりません。

そうした配慮は、店頭・そして従業員の声が、メディアとしての役割をもって顧客に伝わり、新たな信頼関係につながっていくのです。

高齢者は暇か ?

スーパーにいると、開店前から店の前に並んでいただくお客さま、また、お昼前のピークで多くの高齢者が来客することなどから、高齢の女性について暇をもてあましていると考えてしまっていないでしょうか。

1日にやらなければならないことと、自由になる時間という意味では、確かに時間はたくさんあるように見えます。しかし、それは客観的なモノの見方ではあっても、お客さまの主観に立った見方ではありません。

まず、寿命との関係があります。年齢を重ねるに従って、一般的な平均寿命と実年齢の差が減っていく。歳をとると、時間が経つのが早く感じられるのは、これまでの人生の長さに占める、目の前の一時間の相対的長さが短いこと、そして、余命の短さとの関係もあると言われています。

実は、これから消費の量という意味で中心となる高齢者は、暇であるどころか、主観的にはものすごく密度の濃い時間を過ごしていると感じているのです。

そうした方に対して、目先の自分の食事 (レシピ、食材) 選択で迷わせたり、考えさせたりすることは本当に適切か、ということは考えなくてはなりません。そういうことをストレスに感じるお客さまもいるわけです。

高質志向だからと、フェイスが横文字ばかりの商材を、 1フェイスず つ並べているというのでは、お客さまの欲求にはマッチしないということもあるのです。

目の前のお客さまの期待がどこにあるか、見極めなければならない、これはここでも重要な要素であることが、分かっていただけると思います。

次に、より具体的な話としてプライスカードの見え方について考えてみましょう。

1メートルの高さに目があるか?文字は大きいか?

高齢者対応のためだけということでもないですが、都心部の店舗などを中心に、棚が高い店舗が少なからず存在していることに関した課題もあります。スーパーマーケットの経営者、そして幹部の多くが、背中の曲がっていない (または車いすに常時は乗っていない) 男性であるためか、また白内障・緑内障などの目の病気を本格的には患っていないからか、そうした上段に陳列された商品についても、下段と同様のプライスカード、また陳列をしていることが少なくないと言えます。

特に上段に、寝てしまう(商品のフェイスが見えにくくなる) 商品を陳列することに全く抵抗のない企業などは、そうした上段への視野が少ない一部の顧客について、最上段の商品は存在しない!ものとして対応しているものだと思われます。

一度でよいから、サングラスをして、車イスで売り場を回ってみることを提案しているのだが、実際にやってみた方は限られています (店長クラスで、やってみた、という声は聴いたことがありますが)。

お客さま視点を標榜している企業でも、販売側である自分自身というお客さまの視点でしかものが見ることができていない企業が多いと言っても、過言ではないでしょう。

こうしたことは、現場任せというよりも、売場を通じてどういうサービスを提供したいのかという意味で、トップが責任を持って情報発信すべき要素であると考えます。
(つづく。次号は、お客さまの視点に対して、スーバー側の 「部門」 という存在が邪魔をして対応しきれていない例を見ていくことにします)

2020 Value Creator誌 2011.8 (Vol.315)掲載記事